2007.10更新 |
古くは、奈良時代の記録にもあるようですが、現在の抹茶の起源としては中国から帰国した栄西が「喫茶養生記」を著したことに始まるとされています。茶の実を栄西から贈られた明恵上人は栂ノ尾で茶の栽培をはじめましたが、茶の生育に適した場所として天与の条件に恵まれた宇治を選び、やがて室町時代の足利義満の時代には天下一の茶どころと知られるようになっていたといいます。 元禄時代から続き「全国茶品評会」では毎年のように優勝などをされている小山園さんで、どのようなお話が聞けるか楽しみですね。 |
まずは一服、お茶の歴史 | |
小山園さんのお茶は碾茶(臼で碾く前の抹茶=原茶)が有名ですが、抹茶の歴史は古く室町時代から飲用されていたとのこと。碾茶の栽培は四月下旬に茶園に葦簾を一〇日ほど広げて光を遮り、その後さらに光を遮断するため、藁を均等に振り広げる「わらふり」という工程を何回かに分けて行うそうです。 煎茶や玉露などは、江戸時代になってから製造されるようになりました。鎌倉時代に中国からお茶の木やその飲み方が伝わったといわれていますが、中国では廃れてしまった碾茶が日本では緑茶文化の基礎となり、現在まで脈々と伝承されて日本人の生活に溶け込んでいることは興味深いことです。 ちなみにウーロン茶に代表される中国茶や紅茶などは同じツバキ科の茶の葉から作られますが、製造の初期の段階で半発酵、あるいは完全発酵させます。 一方、日本の緑茶は発酵を止めるために、収穫後は大急ぎで加工場に運ばれ、強い蒸気で蒸し上げられます。 |
おいしいお茶の入れ方 | |
続いて、玉露をいただきました。玉露は栽培方法が碾茶と同じで茶園の上に葦簾と藁で覆いをし、日光を遮ることで新芽が日光を求めて伸びようとし、柔らかくて緑色の鮮やかな茶葉に成長するとのこと。玉露のお味は、まったりとした旨みが特徴で、まるでお出汁のようです。お抹茶や煎茶とは別物の、究極の嗜好品のように感じました。 |
お茶作りの極意 | |
当然のことながら、農産物であるお茶の作柄は天候に左右され、年によって出来不出来もあり、茶園の所在地や同じ畑でも陽当たりの良し悪しといった条件の違いがある原料(茶葉)を一定の味の製品に仕上げていく必要があります。摘まれた生葉はすぐに強烈な蒸気で蒸された後、乾燥炉の中で乾燥されたものが「碾茶の荒茶」として低温で貯蔵され、必要に応じて蔵から出されます。蔵から出された荒茶は、大きさを揃え、柔らかい葉肉だけにされて、仕上乾燥にかけ良質の葉だけを選びます。仕上げた碾茶は、品質や特徴を外観、味、香りなどを園主である小山社長自ら審査を行い、見極められるそうです。お客様は、それぞれご自分の好きな銘柄のお茶に対して、味の変化にはとても敏感で厳しいとのこと。常に安定した同じ味を求められ、それに応える栽培・製茶の技術を磨くためには日々勉強、研究の積み重ねがあってこそ。小山園さんでは自園でもお茶を栽培し、契約農家とは好敵手のような関係でもあるとか。契約農家とは強い信頼関係を築きつつ、お互い切磋琢磨されている様子が伺えました。 |
行き届いた品質管理 | |
最新の機能をもつ「槇島工場」を見学させていただきました。小倉町の本社から車で五分くらいの立地です。工場では、電動石臼で碾茶が碾かれているところを見せていただきました。お茶にとって最適の温度、湿度管理がされ、照明を落とした部屋で整然と並んだ臼が一斉に回る様子は壮観でした。ちなみに臼は花崗岩で出来ており、石臼に勝るものはないそうで、専門の職人さんが目立てを行っておられます。また、仕上がったお茶は同じ工場内の検査室で化学的な検査を経て出荷されるそうで、おいしくて安心安全な製品作りに徹しておられることがよくわかりました。 |
このすばらしいお茶を多くの方に楽しんでもらいたい | |
この工場内には本格的な「翠心庵」という茶室が備えられておりました。修学旅行生の見学・茶道体験も受け入れているとのこと。外国人のお客さんも来られるそうで英語版のビデオも用意されていました。多忙な業務の中、見学の受け入れにも積極的に対応されている根っこには、おいしくて身体にもよい本物のお茶を多くの人に楽しんでほしいという熱い思いが感じられました。本格的なお茶をもっと手軽に味わってほしいという願いから、ティーパックにも力を入れているそうです。また、抹茶を使ったお菓子や飴、ソフトクリーム(抹茶を食べているようでした!)も魅力的です。 |
最後に | |
小山園さんには「又玄」(意味:奥深い上にも、なお奥深い道)というお茶の銘柄がおありですが、自社の製品に責任と誇りを持った姿勢に感銘を受けました。ありがとうございました。 |