2005.5更新 |
皆さんに京の老舗を紹介して参りましたこのシリーズも四回目になり、今回は慶応元年創業という和菓子の甘春堂さんを訪れました。 現在の堂主は木ノ下善正さんで、六代目になられるということです。 甘春堂さんは、川端正面角の本店を中心に豊国神社前の東店などで干菓子などをはじめとした伝統の京菓子を守ってこられております。 今回、私たちは東店におじゃましたのですが、いかにも老舗らしい古風な店構えであり、中に入ると色とりどりのお菓子が目に飛び込んできました。普通はショーウィンドウに入れられていることが多いのですが、ここでは床より一段高くしたところに畳が敷いてあり、そこに各商品が陳列してありました。いかにも京の町屋に訪れた感じがして楽しい気持ちになりました。先々代の頃は陳列すらしておらず、先代もただ置いているだけという陳列の仕方だったそうです。 老舗でありながら、インターネット販売にも力を入れておられ、お菓子の知識なども提供されているそうで、どのようなお話が聞けるのか大変楽しみです。 |
常に変化に対応 | |
編集長 甘春堂さんはずいぶん長く続いているようですね? 木ノ下社長 ええ、私で六代になります。大きいところは少なくなって、同業者は小さなところが多いです。もともと和菓子屋は小さくて小回りが利く方がいいようです。 京菓子自体が贈答用になってきたということもありますが、一般向けのものがなくなり、お客さんと一緒にたべるのではなく贈答用の高価なものが残ったのだと思います。 編集長 客層なんかは変わってきましたか? 木ノ下社長 実は私どもの売上の半分以上は注文制でして、お客様からいついつに取りに行くから作っておいてほしいとか、こんなお菓子を作ってほしいとかなんです。それで、機械では特別な注文に対応できませんのですべて手作りです。 10~15年ほど前はデパートにも出店していましたが、職人が育たず、このままではだめだということでやめてしまいました。 近頃では宅急便が普及してきましたので電話注文も多く、特に若い人がインターネットを通じて注文されるのが増えてきました。それも大体が特殊な注文なんです。お使いものにされたり、変わったものをということで、婚礼の引き出物にされたりですね。 お茶の先生なんかは、もう必ず相談しながら作っていかないとどうにもなりません。細かい注文が多いですね。上菓子もそうですね。一般の方はそうでもないと思いますが。いろいろ注文を聞いてもらうために常連のところで注文されるようです。本来和菓子は季節に合わせて作っていますが、季節を無視した注文も入ります。以前はそういう注文には応じていなかったんですが、この頃はそうもいかなくなってきたんです。実は、お干菓子を海外に持っていく人が多く、ここにも台湾や中国のメディアが来て、週に一度は20人くらいの外国人がお干菓子を作っているところを見に来られるのです。外国人にとっては、お菓子に四季があるのが面白いらしいですね。確かにチョコレートには四季を感じられませんしね。若い人が海外へ持っていくのも、いわば日本の四季を持って行っているんです。 ですから、今では冬が去っても冬のものというように、シーズンをはずれたものも作っています。お干菓子は日持ちしますので作り置きができますが、生菓子はそうはいかなくてお納めするまで一週間くらい待ってもらっています。 |
日本の四季を守って | |
編集長 職人さんは何人くらいおられるんですか? 木ノ下社長 この東店で6人くらい、全体で20人くらいです。各店の特色を生かして、それぞれ得意なものを作っています。この東店はお干菓子です。この店で作ったものも各店に配送しています。東店では生菓子を作っていませんので工場や他の店から配送してもらっています。ですから彼岸の限定で販売している「おはぎ」にしてもここでは作っていないんです。 商品については四季にあわせて作っていますが、和菓子は季節が短くて困ります。特にこの記事が出る五月は端午の節句が済んだ途端に夏向きになってしまいます。 編集長 四季の管理は大変ですね。 木ノ下社長 ええ、職人はそれをずぅーっとしていかなければならないんです。1ヵ月ごとに変わる商品を覚えるだけでも最低1年かかります。2年目からはその作り方を覚えていくことになるんです。昔から和菓子屋は暖簾分けするのに10年はかかるといわれています。それでいて収入は低い。好きでなければできませんね。 私の父の代で2人暖簾分けしましたが、私の代でも1人くらいしかないでしょうね。 |
後継者選びは悩みの種 | |
編集長 後継者のほうはどうですか? 木ノ下社長 私は今でも若い人を指導しているですが、私は子供の頃から手伝いをしていたものです。息子は全然手伝ってくれないんですよ。継いでほしいとは言っているんですが、菓子屋は経営だけではだめなんです。レストランのオーナーシェフような形が良いんですよ。店は大きくなれば味が分からなくなっていきます。いい加減なものは売れないんです。機械づくりを始めると技術が伝わらないし、味も変わってしまいます。大きくしたらおかしくなるし、適正な規模でやればそれで良いのかと言って家族だけでやっていては跡継ぎができませんし、難しいですね。同業者も随分減りました。京都では昔一町内に一軒くらいは和菓子屋さんがあったものです。収入は低いし、お菓子を作るのが好きでなかったらこの業種は続けられません。職人が入ってくるときも、収入は良くない、お菓子作りが好きなら来てくれ、と言っているんです。職人の世界は年功序列は通用しないんです。技術が上がらなければ収入も増えません。実は、息子より娘の方が店に興味を持っていまして、職人じゃないですけどちょいちょいデザインなんかで手伝ってくれます。で、「私やったらアカンやろか?」て言うんですよ。アカンことはないんですが、やはり息子に継がせたいと考えています。でも和菓子屋は女性に向いているんですよ。 店の者にも言っているんですが、誰がこの店を継いでも職人を育てていかなければならない。それと、うちの商売の基本を会社ではなく家業と思って進めてほしいと。いくら大きくなっても、家業というスタンスを崩したら大変なことになってしまいます。サラリーマン職人は何かあったときに「責任をとってやめさせてもらいます」と言ってくる。やめればそれで良いのでしょうか。そうではないでしょう。家業をやめることができず、最後まで責任をとらされます。サラリーマン的にこれだけの責任はとるが後は知らない、というようなことはダメなんです。食べ物のことなんで、特にそういう気持ちでやってほしいと思っています。 |