2006.6更新 |
回を重ねてまいりました京の老舗探訪シリーズですが、今回は和菓子の『大極殿本舗』さんの六角店「栖園」を訪れました。 『大極殿』さんは、明治18年に『山城屋』という屋号で下京区で創業しました。明治28年には二代目芝田岩次郎さんが長崎でカステラ製造の技術を習得され、京都でいち早くカステラ製造を開始されました。 カステラというお菓子は、特に私たちにはなじみの深いものではないでしょうか。大切なお客さんに出されるお菓子。親戚やお世話になったお家へ行くときに持って行ったお菓子。そのときよく出されたもの、持って行ったものはカステラではなかったでしょうか。 この『大極殿』さんは京都で早くからカステラを作られ、広められたということで随分身近な感じがします。 また、全国菓子博覧会においても毎回のように賞を受けられ全国でもトップクラスの和菓子屋さんなのです。 今回は、常務の中村敏一さんにいろいろとお話を伺ってきましたので、お楽しみ下さい。 |
手づくりの分業 | |
編集部(以後「編」) 早速ですが、今のようなお店になったのはどのような経過があったのですか。 中村専務(以後「大」) 初代は明治18年に小さな菓子屋を始めたのですが、当時、京都では本格的なカステラというのはありませんでしたので、二代目が長崎へ修行に行きまして、明治28年に本格的にカステラを焼きだしたのです。以後カステラの「山城屋」として名を知られるようになりました。京都にはたくさんの和菓子屋さんがありますが、その中でも当店がユニークなのは、カステラや大極殿を始めとした焼き菓子を中心にした和菓子屋であるということです。 編 主な商品にはどんなものがあるんですか。 大 ええ、和菓子屋ですから生菓子や干菓子も当然ございますが、当店の人気商品はやはり焼き菓子です。和菓子には季節がありますので、通年で販売するものは少ないのですが「カステラ」と「大極殿」、「花背」などが人気の商品です。他には、今でしたら「若あゆ」を9月ごろまで敗売しております。 編 工場はどちらにあるのですか。 大 向かいの五階建ての建物の中にあります。職人は58歳の工場長を筆頭に10人ほどおります。女性はそのうち3名です。前の工場長は78歳になりますが、今も非常勤で来てもらっています。 編 商品は大量生産できないのですか。 大 機械商品はほとんどなく手づくりでしていますもので限界がありますね。たとえば「千代錦」という羊羹は抹茶と小倉の二段になっていますが、抹茶羊羹を流した上に栗羊羹をちょっと挟み、そこに小倉羊羹を流し込んで作ります。特に栗羊羹は私共の独特の商品でございまして、もち米を栗粒のように細工して、そのモチモテした舌ざわり、プツプツした歯ざわりのいい特徴ある羊羹に手づくりしております。 編 和菓子の世界は分業の世界だとも聞きましたが。 大 そうですね、和菓子というのはお米、もち米、小豆などを使うのですが、餡を作るというのが本道だと思っています。ですから当店の餡はすべて自家製なんです。餡は和菓子屋の生命線だと思っております。 |
大極殿のルーツ | |
編 ところで、カステラは少し違うようなのですが。 大 はい、カステラは焼き菓子の中でもオーブンの中に入っている時聞が長いという特徴があります。「花背」などのお饅頭は火の上に乗っている時間が非常に短いのです。カステラはふくらし粉などで膨らませているのではなく、卵の力だけを頼りにじっくりと時間をかけて焼きあげます。その分、火力を制御するために鉄板を間に入れたり出したりといった工程があり、一人で焼きあげています。餡を炊いて,皮の生地を作って、焼くというような分業のシステムはカステラの場合は適用できないのです。 ところで、私どもの成り立ちがカステラからということもありまして、大正から昭和のはじめ、京都にまだカステラを焼くところがなかった頃、京都市内の和菓子屋さんで売られるカテラの多くが当店のものだったと聞いております。 編 カステラを焼くのは大変難しそうですね。 大 実は、昔は炭火を使って焼いていていたそうで、鉄板の上に炭を載せてオーブンとして、火を通していたらしいんです。昔は安定した熱源の火がなかったたもので、非常に苦労もあったようです。京都電灯という関西電力の前身が蹴上発電所を作ったときに、先代が電気で釜ができないかと提案し、共同で電気釜を開発しました。この国産第一号の電気釜は、現在関西電力資料館に保存されています。 現在ではお菓子専門のの電気オーブンメーカーさんも数社あり、コンピュータ化もされてきました。電気オーブンメーカーさんがその釜とカステラを焼くノウハウを広められました。一般的な配合は安全に焼きあがる配合ですので、初心者の方が焼いてもうまくいくんです。でも、先代はカステラ焼きによく失敗をしていました。それは、いつも新しい工夫をしていたからなのです。「卵の量を増やそう」とか「粉の量を減らそう」とか、毎度ギリギリのところで挑戦していました。.こういうギリギリの配合で、美味しいカステラが焼けるのです。ですから、今でもお菓子屋さんから、うちのカステラでないとだめだ、ということでお買い求め項くことがあります。また、デパートのバイヤーさんから「店で売りたい」と言って頂くお誘いもありますが、当店の場合、カステラは本店と六角店ででしか販売をしておりません。これは、申し訳ありませんが、当店のポリシーでもありますので、ご勘弁頂いています。 |
京町家をそのまま活用 | |
編 この六角店はずいぶん古い建物のように見えますが。 大 はい、この六角店は慶応元年築です。その後、内部は何度か改造された様子はありますが、太い大黒柱のお陰か、百四十年の風雪に耐えてきた京町家です。私どもの本店は明治末頃から高倉四条上ル(大丸百貨店東側)にございます。太平洋戦争時の企業整理で昭和19年にやむなく休業そのうえ強刷疎開で20年4月に本店は取り壊されてしまいました。昭和22年天皇陛下が戦後初めて京都に御入洛の節、京都府庁より陛下献上のカステーラのご用命を賜りました。戦時中大きな電気釜二台は国へ供出してしまっていましたが、小さな(国産第一号の)電気だけは田舎へ疎開させて残っていましたので、これをこの六角店(当時は店主の住まい)へ持ち帰り、無事に献上のカステーラを焼きあげて、納めることができました。これを機に、営業を再開いたしました。今の本店建物は、昭和26年に復興したものです。当時は平屋建て店舗で、その後奥に二階建ての工場、続いて表を二階建てにと、戦前の姿に復旧しました。本店は間口も狭く、奥のほうの併設工場も段々と手狭になりましたので、昭和60年に六角高倉東入に六角工場を新築いたしました。その後その向かいの京町家を、麦をあまり変えずに現在の六角店にしたんです。中には「栖園」という和風喫茶コーナーもあり.季節の生菓子やぜんざい、琥珀流しなども召し上がって頂いております。 |
店名は人気商品から | |
編 昔は「山城屋」といわれていたんですよね。 大 私どもの人気商品に「大極殿」という菓子がございます。大正時代に「大極殿」というお菓子を開発したんですが、それまでのお饅頭は日持ちのしない蒸饅頭の様な皮が柔らかなものが一般的だったんです。「大極殿」はたっぷりの卵と小麦粉を練った柔らかい生地で餡を包んで焼くんです。卵は焼きますと水分が飛んでしまいます。ですから「大極殿」の焼きたてはパリッとしています。これをポリ系のシートを張り合わせた包装紙で包みますと、ふわっとした感じが戻ってきます。本来、「大極殿」の美味しさは、このパリっとしたところなんです。これが当時好評を博しまして、以来、皆さんから大極殿さん、大極殿さんと呼ばれて参りました。 それで、戦後再興するときに「京名菓 大極殿本舗」と屋号を改めたんです。 |
難しいCM | |
編 宣伝などはあまりされないようですが。 大 宣伝が下手なんですね。カステラにしましてもまった宣伝をせずに来ましたので、あまり御存知ない方が多かったんです。ところが、最近は京都ブームとかで、あちこちから取材がありまして、いろいろと取り上げて頂いております。カステラなんかも随分宜伝して頂いております。私どもから宜伝する場合は冬場は「花背」、夏場は「若あゆ」をすることにしているんですが、どうしても販売期間の長い「花背」だけになるんです。ですから「若あゆ」なんかは五月半ばから九月半ばの商品ですが、完全に口コミだけなんです。 編 宣伝は難しいということですね。 大 でも、「花背」は私どもが比較的に力をいれて宣伝している商品なんです。実は各地で催される京都府の物産展などに出展させてもらっており、年間で十数箇所ほど行ってお.ります。ここで、職人が一人参加して「花背」を作りながら、いわゆる実演販売をしているんです。それがなかなか人気なんです。薄いひしゃくから皮になる生地を熱い鉄板に垂らして「花背」の楕円形の網を一筆書きで描いていきます。もう一枚皮を小判型に焼き、網の上に短冊形の海苔を載せその上に小判型を乗せ、そこに餡を入れ二つ折りにしてできあがりです。この網を描く部分に見とれて感心して頂き、お買い上げ頂き、今では全国のデパートや京都駅などでの売り上げの主力になっております。 |
待たれる和菓子ブーム | |
編 現在は和菓子ブームなんですか。 大 そうじゃないでしょう。昔は和菓子中心だったところへ戦後洋菓子が繁盛してきました。時代は洋菓子ブームになっていきました。でも、業界データによりますと、和菓子のほうが金額は上をいっているんです。洋菓子ブームといいましても、大体洋菓子というのは自家消費が中心なのでしょうか。デコレーションケーキを進物にはあまり使われませんし、そこはやはり和菓子になります。あられや米菓類も強く金額的には圧倒的に和菓子になります。最近は和菓子屋さんも随分頑張っておられ、そういう意味では少しはうねりが出てきているのかもしれません。 編 景気の回復はまだまだというところですね。 大 この業界ではあまり掴めないのですが、景気回復の実感はないですね。以前では考えられなかったんですが、実演販売においても、一個買いというのが随分増えてきました。 編 それは、どのように思われますか。 大 わかりませんが、実演販売を見て面白いから、試しに一つという感じではないでしょうか。 編 使いものにはしないということでしょうか。 大 いや、そうではなく。まずご自分や小人数の家族のために、という考え方が強いのかと思います。お取り寄せのときでも、ほんの僅かの注文で、送料の方が高いと思われる場合でもお構いなしにご注文されます。ですから、ご家族の中でも自分だけというように、まわりの分まで注文することが傾向として少なくなってきているようです。 編 ところで,和菓子をおいしく頂くコツのようなものはありますか。 大 和菓子と洋菓子の違いの一つは香料だと思います。香料の強いものは和菓子には合いません。お茶は熱くて濃いものが和菓子にはおすすめです。少し渋めにいれた熱いお茶は甘みを引き立てますしね。和菓子もお茶も体にいいので。ぜひ、濃い目のお茶で召し上がることをおすすめします。 |
百年続くお店 | |
大 ええ、当方ではカステラはまぎれもなく和菓子であると考えておりますので漢字の「春庭良」という文字を当てています。実際、カステラは元々西洋から伝えられたものですが、味も食感も全く別のものとなりました。 編 今後のビジョンなんかをお願いします。 大 先代がいつも言っておりましたが「飽きずに百年召し上がって頂けるお菓子」これがコンセプトです。よく言われたのが「菓子屋とデキモノは大きくなると潰れる。」大きくする必要はなくて、美味しいものを作れば大きくなる、「いつまでも続く店を作りなさい」ということで、それが基本でした。 今まで百年続きました。これからまた百年続けていく、ということを目標にして参ります。 編 府庁生協組合員に対するメッセージを。 大 以前、私もサラリーマンをしておりまして、周囲の人から「大極殿、へぇ、大極殿みたいな上等のお菓子屋なんて買いに行けへんやないか。」とよく言われたものです。そうじゃなくて、皆さんに親しんでいただける身近な菓子屋でございますので決してお高く留まって高いものを売っているというイメージをお持ちにならずにお顧いします。一つでも、一度食べて頂けたらと思っています。金額的ににも、例えば「若あゆ」ですが、一匹189円はお味は勿論ボリュームもお値打ちの品だと自負しております。そういう意味でも、皆様に身近な菓子屋として可愛がっていただきたいものと願っております。 編 本日はお忙しいところ大変ありがとうございました。 |