シリーズ企画

田中人形

2008.3更新

京都東山三条 田中人形

 三月になりました。三月は「桃の節句」といわれる「ひな祭り」の季節でもあります。この「ひな祭り」が過ぎれば五月の「端午の節句」と続きます。
 この二つの節句、どちらにも共通するのは人形を祭るということです。
 そこで今回の老舗訪問では、人形を作って四〇〇年以上の歴史を持つ「田中人形」さんをご紹介したいと思います。

 「田中人形」は天正元年(一五七三年)初代絵屋権右エ門が御所お抱えの有職司として参内を許されることに始まります。今でいう「宮内庁御用達」という職人最高の栄誉だったようです。
 以来、京人形司としての技は「一子相伝」を掟として代々継承され、現在は一九代平安光義さんがその技を受け継いでおられます。
 人形は元々人や動物などの形に似せて作り、それらの代わりとすることから始まったもので、人形の歴史は大変古いものです。人類始まって以来のものかもしれません。

様々な人形
 形には玩具としての利用から美術工芸品として価値の高いものまで様々なものがありますが、わたしたちに最もなじみのあるのは、やはり玩具としての人形ではないでしょうか。日本各地に現存する「郷土人形」は幼い子供の玩具として非常に大切にされました。主に木や土製の素材に胡粉などで着彩した人形が多いですが、工芸品として精巧に作られたものもあります。和紙と千代紙で作られた素朴だけれど優雅な人形は裕福な武家や商家の子供たちに大切にされました。その子たちの多くは人形を擬人化して日常生活を再現した『ままごと遊び』をして楽しんでいたものでしょう。

 観賞用の人形は儀式の人形として普及していますが、中でもひな祭りのお雛様と端午の節句の五月人形は特別なようです。

雛人形
 ひな祭りは旧暦の三月三日に川で身を清めるという中国から伝わった「上巳の節句」が起こりだとされています。そのときに使われた「紙雛」や「天児」「這子」が雛人形の原形ということです。災いを移し負わせるものとして魔よけのために幼児の身近なところに置いたり、その人形を川や海に流す『流し雛』という風習もあります。
 室町時代になると「ひいなあそび」と呼ばれる人形遊びが流行し、人形を贈りあう習慣が生まれ、次第に人形は立派になっていきました。あでやかな裂製の人形が作られ「内裏雛」という宮中装束を模したものまで現れました。
 現在の「ひな祭り」はこうした「厄払い」と「ひいなあそび」が結びついたもので、雛人形を飾るのは「人形が身代わりとなってその子に災いがふりかかりませんように」「結婚などの人生の幸福を得られますように」という家族の温かい思いが込められたものだそうです。

 人形を飾る時期は立春の頃から二月中旬にかけて遅くとも節句の二週間前までには飾るべきだということです。節句が過ぎればなるべく早く、遅くとも三月中旬までの天気のよい乾燥した日に仕舞うのが良いとされています。雛人形の殿と姫を左右のどちらに配置するべきか悩ましいものですが、古くから明治大正期までは殿が左になっていたようです。昭和初期になって東京を中心に逆に飾るところが現われ、今では殿を左に飾る京都式と右に飾る東京式の二つの方式があります。唐の時代に左が上位とされたことを受け平安朝の日本でも左大臣を上席とする考えがあり、室町時代の官制でも左を貴いとしたことを模して雛飾りも殿が左となったようです。京都式の雛人形は古式にのっとり、左を殿(向かって右)に姫を右(向かって左)に飾ることになります。

五月人形
 「端午の節句」は五月の端の午の日という意味で、のちに五月五日になりました。特に季節の変わり目であるこの日に、病気や災難を払おうと、昔から邪気を祓う力を持っていると信じられていた菖蒲を軒にさして軒菖蒲、お風呂の中に入れて菖蒲湯、枕に菖蒲を挟んで菖蒲枕などが奈良時代から行われてきました。この「端午の節句」が男の子の祝日となったのは、鎌倉時代になって武家社会になると「菖蒲」が「尚武」に通じることから男子の武運長久を願う行事となり、江戸時代になると旗・指物・幟を門口に飾って勇ましく祝っていたものが、武家ばかりではなく一般庶民にまでもだんだんとこの風習が広がっていったものと思われます。「端午の節句」では外飾りと呼ばれる旗や鯉のぼり等と部屋飾りと呼ばれる鎧や兜などの武者人形と種類は豊富ですが、祝い事はどちらでもよく、両方でも片方でも構わないそうです。それぞれの家庭の事情によるというところでしょうか。特に今日の住宅事情から外飾りが困難なところも多く、人形飾りが主体となってきており、その飾り方にも床の間飾り(毛氈敷き平飾り)、平置台飾り(平飾り)、高床台飾り、二段飾り、三段飾りがあります。

 また鯉のぼりには、鯉が出世魚ともいわれることや、勇壮に滝を登るという中国の伝説から、男の子の元気な成長と出世を願う意味が込められています。鯉のぼりの大きさにはあまり意味はなく、小さくても心がこもっていればそれは素晴らしいものだそうです。   五月人形は飾り方も色々ありますが、人形は大別して二種類あります。一つが式正(大)鎧で、もう一つが式正兜です。他にも様々な祝い人形があります。

その他の人形
 京人形には雛人形や五月人形(武者人形)の他にもいろんな人形があります。中でも市松人形と御所人形はよく知られていると思います。

 市松人形は着せ替え人形の一種で、「いちまさん」の愛称で親しまれています。名前の由来は諸説あり定かではありませんが、江戸で人形といえば市松人形を指すぐらい一般的でした。一九二七年に人形大使としてアメリカに贈られたことは有名です。現在の市松人形は雛人形の脇に置かれるようになり、台座に固定され着せ替えが出来なくなっているものが多いようです。着せ替えの出来るタイプは伝統工芸品としても製作されています。

 御所人形は三頭身の裸身の童子を題材に桐を掘り、丹念に漆を塗る要領で胡粉を塗り仕上げられた人形です。起源は「這い這い人形」で、公家・貴族社会では子供の誕生に際して贈られる厄除けでした。御所人形は門跡の寺、京都の霊元寺、宝鏡寺などに由緒ある人形が残されたり、皇室・公家からの輿入れがあった御三家に現存することから、単なる厄除け人形の領域にとどまるものではないと思われます。

平安光義さんのこと
 ころで、現在の平安光義さんは一九代目で、京人形司として経済産業大臣認定の伝統工芸士でもいます。先代平安光義の次男として生まれ光義工房では若き京人形司として活躍する一方、業界の指導者として他の伝統工芸士や若い職人を指導し、自らも日々研鑽を重ねておられます。一九六〇年生まれということですから、まだまだこれから先素晴らしい作品を作っていかれることと思います。

 京人形の製作工程は、頭、髪付け、手足、小道具、着付けなどのいくつかの工程に分かれており、それぞれが熟練した職人たちの手仕事によって行われています。この高度に専門化した製作工程が、人形に京都だけの特色や個性を生み出すことになり、「伝統的工芸品」の指定も受けています。

いつまでも人形を大切に
 人形にも命があって、大事にしていた人形もいつかは壊れたりダメになったりするものです。でも、人形をそのままゴミ箱に捨てたりしないようにしてください。子供時代を見守ってくれた大切な人形です。飾らなくなったからといって粗末に扱わないでください。いつまでも丁寧に扱ってください。京都では人形寺(宝鏡寺・堀川通寺之内東)などで、お役目を終えた人形として供養をしていただけるそうですよ。

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