シリーズ企画

笹屋伊織 下編

2004.2更新

昭和5年当時 笹屋伊織の様子

老舗訪問『笹屋伊織』の後編です。
老舗の重み、それにまつわるエピソードなどを語ってもらいました。
あなたも一緒に今後の老舗のあり方を考えてみてはいかがでしょうか。

笹屋伊織の十代目当主夫人
田丸みゆきさん

左が笹丸最中、右がだるま最中

田丸みゆきさんのお話

伝統はただ守るんではない
 老舗の運営について、よく他からは「守っていくのは大変ですよね」などといわれます。でも結婚して10年になりますが、京都の人は周りが思うほど、頑なに伝統を守らなければ・・・と、ただ執着しているのではなく、もっと自然に新しいものも受け入れ、合わなければ止めて、結果として本当に良いモノだけを残してゆく。京都の方はむしろ革新的だと感じます。

ところで、ご年配のお客様は私どもの考えている以上にお菓子に対する思い入れがありますようで、昔のお菓子を大事にしてくださいます。こちらに嫁いで来た頃は、それこそ「老舗ってなんだろう」などとずっと考えていた気がしますが、それもお客様から教えていただきました 。

「だるま」の思い出
  嫁いで3年くらいした頃のことです。

当店に、だるまの形をした最中がありまして、昔からの本店の定番商品なので、今はケースの片隅に置いてあります。そこに、ある老夫婦がご来店されまして、「だるまの最中はありますか?」とお尋ねになったのです。「こちらですか?」とご案内したところ、「ああ、これだ!!」と叫ばれ、「これをここで食べてもいいですか?」と興奮気味におっしゃられるんです。お茶をお出しして事情をお聞きしますと、おじいさんが椅子に腰掛けながら「自分は小学生のころこの店の前を通学していたものです」と話し始められました。

―戦前は、子どもなんかは上菓子屋さんへは入ることもできませんでした。お母さんでさえ進物専用にしか使わないようなところに、子どもがおやつ代わりにそこの最中を買ってくれ、とは言えるはずもありません。当時の「だるま最中」はショーケースの真ん中にありまして、笹屋伊織の「だるま最中」は憧れでもあったのです。それを通学途中にいつも見ていたところ、その「だるま」がこちらを向いてしゃべりかけてきている気がしました。我が家も当時それほど貧しくもなかったのですが、なかなか買ってくれとは言えず「食べてみろ」と「だるま」が話しかけてくる気がして「いまに見ていろ、お前をお腹いっぱい食べてやるぞ」と思ったものでした。
そのうち、家は京都を離れ各地を転々として、言葉の違いからいじめにも遭いましたが、その度に「だるま」が心の中で笑うんです。「そんなことで泣いていたら、俺を食べられないぞ」と。「クソォ、俺はアイツを食べてやるぞ」と、人生の節目で「だるま」に励まされてきたんです。
定年退職して、今は奈良に住んでいるんですが、ふとそのことを思い出しまして、こうして京都まで妻と出て来たんです。店の名前も判らず、記憶にある場所だけを頼りに入ったお店に、「だるま」は50年も昔から、思っていた姿そのままに店の片隅で私を待っていてくれたんです。

老舗の役割
 その最中を半分に割って、奥様にも勧められ、最中を口にされた途端ポロポロと涙を流されたんです。「ああ、うまい。初めて食べた」と、お土産に持ちきれないくらい「だるま最中」を抱いて帰られたとき、私の目から鱗が落ちました。老舗ってこれなんだ。お客様一つひとつの思い出を私たちは守っているんだと。この「だるま最中」が売れなくなれば、最中の形を「ドラえもん」にしてしまえば一時的には話題になって売れるかもしれませんが、同時にお客様の50年間の想いは崩れ去ってしまうでしょう。私たちの仕事は、その時々の流行物を追いかけるのではなく、お客様の思い出も一緒に守っていくことで、それができるのが『老舗』なのでしょう。実際その「だるま最中」も相変わらず根強い人気がありまして、今でも店の奥のほうにじっと座っております。

修学旅行中の中学生ともよくお話をします。最初は接客の合間に店先で京菓子の話をする程度だったのが、正式に学校を通して依頼が来たりして、修学旅行の季節は忙しくしております。今は4~6名のグループを応接に通し、お茶とお菓子を出して話をさせていただくというスタイルをとっています。

生徒さん方の熱心さや、御行儀の良さに感心したり、無邪気な反応に私も楽しい時間を過ごしています。修学旅行のお土産のひとつとして心の中に持って帰ってもらえたらと思います。私が学生たちに説明しているところを見て、近くのお客様が「よその人たちに親切にしてくださるのが、京都人として大変うれしい」と言って下さるのも、とても励みになります。

これからの上菓子屋
  江戸時代には、行器(ほかい)と呼ばれる大きな箱にお菓子を入れて御所まで運んでおりました。多くは漆塗りの黒っぽいものが多い中、当店に残っているものは螺鈿細工で華美に装飾されており、ご覧になられた方は感心してくださいます。少なくとも150年は前のもの。よそから嫁いだ私にとっては、ガラスケースに展示されていてもおかしくないと思いますのに、笹屋伊織では使わなくなった道具のひとつ。特別な扱いをしないことにまた驚かされます。

和菓子業界は男の世界で、奥さんが出る幕なんていうのはありません。そんな中、昨年ホームページを開設しまして、女将のページを設けさせていただきました。そもそも和菓子屋の奥さんを女将さんと呼ばないのを、あえて解りやすいように女将と名乗り、写真を出すことに、ためらいはあったものの、主人が「何でもやるのであれば一番最初にやることに意義がある」と勧めてくれました。

嫁いだ年に、九代目が脳梗塞で倒れ、翌年には主人が十代目として暖簾を受け継ぐことになりました。京都のことも、暖簾のことも、菓子のことも・・・何も解らないまま、お客様に、古くからのお出入りの業者さん、社員、そして主人に支えられて、あっという間の10年でした。今後も初心を忘れずに「感謝」という言葉を胸に励んでゆきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

「息子が(まだ小学2年生の時に)学校で、自分の一番大事なものを書くようにという課題を出されたときに『笹屋伊織の暖簾』と書いてくれたんです。本気なんでしょうかねぇ」と嬉しそうに語ってくださいました。

後継者は着実に育っているようです。

工場にて

作業に励む中崎さん
工場は動力機械がないせいか、大変静かでした。

この店に50年以上いるという中崎さんは一級の和菓子製造技能士の認定をお持ちですが、「この道は10年くらいで何とかひとり立ちできるが、その後は精進あるのみ」と黙々と自分で作ったヘラを手に作業されていました。
また、沖縄から来たという一番若い女性の職人は「和菓子の魅力に魅せられてこの世界に入りました。将来は和菓子の歴史がない沖縄で店を開きたい」と、はみかにながら目を輝かせて語ってくれました。

笹屋伊織
京都府京都市下京区七条通大宮西入
ホームページ:http://www.sasayaiori.com/